砂漠の国、魔法の時間 – Africa Eco Race 2020の取材から

夢と幻想は紙一重だ
地平線の向こう側に何が見える?
男も女も走り続けたらいい
例え生涯をかけることになっても

第12回 アフリカエコレース
2020年1月5~19日 モナコ~ダカール
Photo : Alessio Corradini



プロローグ

以前にぼくは「ティエリーの呪縛」という短い文章を、他誌に書いたことがある。1978年12月にパリをスタートした冒険レース。「第1回パリ-ダカールラリー」。ティエリー・サビーヌという若者が企画したこのラリーに魅せられ、それを夢そのものとして抱き続ける「かつての少年たち」、それを縛めている幻想のことだ。いや、幻想なのか、真実なのかはわからない。とにかく、それはぼくたちにとって、バイクに乗り続ける理由にすらなっているのではないか。果てしない砂漠の風景の中を、大きな燃料タンクを積んだ一台のバイクとともに走り続ける。それは自分でなければならない。いつか、きっと。

それは2009年に始まった

 モーリタニアでのテロリズムの危険が高まっていることを理由に、ダカールラリーがスタート直前に中止になったのが2008年。その翌年からラリーは南米に開催地を移し、昨2019年まで「南米ダカール」が続くのだが、このアフリカエコレースが始まったのは、ダカールの南米移転と同じ2009年だった。
 フランスをスタートし、モロッコに上陸。北アフリカ諸国を走ってセネガルの首都ダカールの海岸、ラックローズにゴールするというルートデザインは、まさに「パリダカ」のクラシックルートというべきものだが、これを企画したのは、優勝経験もあるドライバーのジャン・ルイ・シュレッサーとルネ・メッジ。当初はユベール・オリオール(2輪優勝経験者で後に4輪に転向)も関与していたが、諸般の事情でラリーを離れている。
 本家のダカールと同じ1月の開催ということも原因であるかもしれない。今年で12回目の開催であるというのに、このラリーはあまり多くの人に知られてこなかった。それがにわかに注目を集めるようになったのは、2019年からだ。ダカールがその史上初めて、国をまたぐことがない一か国(ペルー)での開催になったこと。そして続く2020年もサウジアラビア一国で完結するラリーになることが発表されたことが契機だったのではないか。背景には、コンペティションとして進化、先鋭化し、アマチュアの手の届かないものになって久しいダカールの姿があった。ふと、視線をアフリカに戻すと、かつての「パリダカ」のようなラリーが、すでに十年以上も続けられているではないか。もしかすると、それこそ、追い求めてきた夢があるんじゃないか。そんな心の働きがあったのかもしれない。
 2020年、アフリカエコレースのエントリーは急増。4輪で60チーム、2輪は100名。特に2輪では前年比180%という人気である。

走れカングー!

 昨年まで日本からの参加者は、篠塚健次郎のチームだけだったのだが、今年は一気に6人になった。4輪のSSV(サイドバイサイドビークル=小型のバギー)に、菅原義正/羽村勝美組、同じくSSVで梅田真祐、2輪に杉村晋吾、増田まみ、資延哲規、大塚正樹の4名。計6台7名。
 菅原義正は、言わずと知れたパリダカの鉄人。2019年のペルーを最後に、ダカールからの引退を宣言。78歳のレーサーは、新たな挑戦の場としてアフリカを選んだのだ。
 「かつて自分が情熱を傾けたラリー」、その姿を追い求める。国をまたぎ、異なる文化を肌で感じ、多様な自然を体験する。それがラリーではないか、と。
 ぼくは菅原がこのレースに焦点を定めたことを知り、なぜか切迫した感情を抱くようになった。菅原と一緒にアフリカのラリーを見たい。たくさんの少年たちが夢見た、あのラリーの姿がそこにあるんじゃないか、と。
 そう希望を伝えると、菅原は多くの便宜を図ってくれた。取材に必要なクルマも貸してくれるという。彼がルマンのレーシングガレージで「社用車」としているルノーのカングーである。2輪駆動のライトバンである。「これで大丈夫ですか?」と聞くと、「大丈夫。スタックしそうなところではタイヤの空気圧を落とせばグリップがよくなるから。でも、抜いた後は、エアを入れるのを忘れないでね」。レジェンドにそう言われると、否定できる人はいない。
 ダカールまで少なくとも7000キロ。行けるか、このライトバンで!?

タンジェ上陸

 ラリーはモナコをスタートし、イタリアのサボナ港からフェリーでモロッコのタンジェに渡り、そこから12日間の本格的なステージが始まる。アフリカというと、漠然と暖かい土地をイメージする人も少なくないが、季節は1月で、特にラリー前半、高緯度のモロッコは寒く、初日、タンジェからエルラシディアのステージに含まれるアトラス山脈越えでは、気温5℃を切るほど。日陰には残雪もあり、やっと山脈を越えても、エルラシディアに着くころにはすっかり暗くなっていて、今度は夜の寒さがライダーを出迎える。夜半には氷点下近くまで気温が下がった。
 こうした寒さは、南下するに従って和らいでいくのだが、暖かい、と感じるようになるのは、セネガルに近づいてからで、だから、キャンプのために用意するシュラフ(寝袋)は、スリーシーズン用では不足で、マイナス10℃用ぐらいのスペックは最低限用意したいところだ。

砂丘の夜

 初日のタンジェ~エルラシディアは、700キロのうちスペシャルステージは25キロと短く、まさに主催者が参加者たちのスキルを見極めるためのステージという感じだった。翌日のメルズーガ砂丘を含むステージも難易度は高くなかったが、3日目は、スタートしてまもなくから、大きな砂丘が60キロ続き、その後も荒れたピストが続くハードなステージだった。
 増田まみが走らせたBeta RR4Tは、電気系統のトラブルを抱えていて、この日、砂丘の中でストップ。たった一人、氷点下の砂丘で夜を明かすことになった。
 「エマージェンシーブランケット。あれけっこうあったかいですよ。あれがなかったら死んじゃったかも!(笑)」
 増田はこの日からラリーに遅れて自力で南下を開始することになり、再びラリーに合流するのは、3日後、大西洋岸のビバーク、ダクラでの休息日。増田は1200キロも、ほぼ不眠不休でBetaを走らせたのだった。

ティジクジャ

 例えば、あるステージでフィニッシュまで到着できなかったり、あるいは、途中のステージをスキップしても、本人が健康で、マシンも走れる状態であれば、タイムペナルティはつくものの失格にはならず、再スタートできるというのが、このラリーの特徴のひとつだ。ダクラの休息日までに、SSVの梅田真祐、2輪の大塚正樹、増田まみは、ステージのフィニッシュに到達しないフルペナルティを受けているが、ラリーを続行。菅原/羽村組、2輪の杉村晋吾、資延哲規はペナルティ無しで「生き残って」いる。ダクラでゆっくり休んだ翌日からはモーリタニアのステージが始まった。白い荒漠とした風景。モロッコの砂漠の色が、少しオレンジ色がかっていたことにようやく気が付く。モーリタニアは、まるで色が無い世界という感じなのだ。
 「モーリタニアの砂は悪質ですよ。バイクを停めたとたんにタイヤが沈んでいく。まるで液体みたいに」と杉村晋吾がこぼした。
 ステージ8、アタールからティジクジャに至るステージは過酷だった。スペシャルステージのスタート直後から難しいオフピストの走行が続き、中盤からはまた極めて粒子が細かい砂丘の連なりになる。資延哲規が、クラッシュしてリタイアし、ペナルティを受けていない唯一の2輪選手になっていた杉村晋吾が、ここでマシントラブルを見舞われDNFを喫する。燃料系のトラブル。砂漠の中で、次々に通過していく4輪に埃を浴びせられながら修理を試み、何度か再始動したが、ついに万策が尽きた。
 長いステージだった。トップクラスの選手で8時間30分を要していた。並みのライダーなら倍はかかると計算するのが砂漠のラリーである。
 多くのチームが日没後も砂漠で格闘を続けていた。危険と判断した主催者は、後半のステージをキャンセルした。 
 菅原はそれでも夜半になってビバークに無事到着。「すごかったね。でも、これがティジクジャのステージなんだよ。ティエリーが切りひらいた伝説の道を、シュレッサーは走らせたかったんだ」と、埃まみれの顔を手で拭いながら言った。

アレッサンドロ・ボットゥーリ

 「昨日のステージは、今まで経験したラリーの中でも一番キツかったかもしれない」と話したのは、ダカールの経験も豊富で、昨年このラリーを制したイタリアのライダー、アレッサンドロ・ボットゥーリだ。今年も序盤からリードして首位をキープしている。2番手は、やはりダカールで勇名をはせたノルウェイのパルアンダース・ウレバルセター、3位争いは、イタリアの若手パオロ・ルッチと、イギリスのリンドン・ポスキットの接戦。日本人選手で、一度もDNFにならずシームレースにラリーを走り続けているのは、菅原/羽村組だけとなった。
 ティジクジャのループを終えて、ラリーは終盤戦。モーリタニアの最後のスペシャルを終えてセネガルに入ると、ラリーのエンディングはすぐそこだ。

国境の南へ

 ぼくたちプレスカーのラリーも終盤だ。心配していた路面状況は、全体としては問題なかったが、モーリタニアでは何度も砂に埋まって、その度にレーシングカミオンに助けてもらったり…。モロッコでもモーリタニアでも、親切な地元の人たちに出会い、楽しい旅が続いた。
 それでも、どこか緊張していたのだろう。常に空を砂塵が覆っているモーリタニアを出て、温暖で市民の生活水準も高いセネガルに入るとホッとした。国境のゲートを過ぎると、舗装路は格段に質が良くなり、カングーのタイヤハウスを通じて聞こえるロードノイズがぴたりと消えた。セネガル、サンルイのビバークは、トイレもシャワーも清潔になり、テントの下のレストランもサービスが良くなった。明日は最終日。ラックローズまであと少しだ。

サンルイで見る夢

 夢と幻想は紙一重のものだ。ダカールにたどりついたからなんだというのだろう。ティエリーがかけた魔法に縛られて、たくさんの男たち、女たちが、砂漠を越えて走り続けてきた。
 サンルイからラックローズまでは、それでも200キロほどあって、沿道では、地元の人たちが歓声をおくってくれ、退屈しなかったが、ペースが上がらないのに閉口した。モーリタニアの最期の悪路で、エンジンマウントを壊してしまい、ガタガタいってるカングーがラックローズのポディウムにたどり着いたのは時間ギリギリだった。モナコをスタートしてから2週間に過ぎなかったが、なぜか長い旅をしてきたような感情が湧いてくる。もしかしたらここに来るまで、ぼくも三十年かかったのかもしれない。
 増田まみは、何度もDNFのステージがあったものの、毎日走り続けて、この最終日も走り、ラックローズの最後のSSをスタートした。が、数キロ走ったところでストップ。最後までマシントラブルに泣かされたラリーだった。
 「でも夢がかないました。できるだけ走ってここにたどり着いた。バイクが調子よかったら、という思いは確かにありますけど、自分に乗りこなせるサイズで、最大限の性能があるのはこのバイクだったし、後悔はしていません。ここまで一緒にきてくれたことに感謝しています」と笑顔で話す。
 ティジクジャまで順調だった杉村は、リスタートしてフィニッシュを目指したが、再び燃料系のトラブルに見舞われ、涙を飲んだ。13年前、初めて参加して2日目で終わったパリダカのリベンジだった。
 「まだ足りていない。また出直してこい。そう言われている気がします」と、ラックローズのポディウムをまぶしそうに見つめた。

エピローグ

 なぜこんなラリーにこだわるのか。みんなずいぶん犠牲を払ってここにきている。ぼくもそうかもしれない。でも、それほど後悔もしていない。ティエリーがかけた魔法は、もうずいぶん長い時間、ぼくの人生を楽しく彩ってくれているから。
 菅原義正/羽村勝美組は、すべての日程を走り切った唯一の日本人クルーだった。ラックローズで一斉スタートのSSを走り終えた菅原の第一声が奮っている。
 「ターボ付きのポラリスにはかなわないよ。全然パワーが違う。それでも5位まで順位をあげたんだ!」
 この人は、本当の意味で、生涯レーサーなのだ。 「それでいいんだよ。精一杯生きなさい」
 菅原は自らの生き方でそれを教えているのかもしれない。

END

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